警察や関連団体が安全運転教室、交通事故ゼロキャンペーンなどを毎年開催しているのに交通事故はゼロになりません。交通事故が起これば時間やお金を取られることにもなりますし、健康を損ねることもあります。場合によっては命にも関わります。
誰もが、被害者にも加害者にもなり得ます。
全く誰の得にもならないので、誰もが「なくなれば良いのに」と思っているのに、なぜか交通事故はゼロになりません。
1. 慢心があるから
今日も道路を何台もの車が走っています。それぞれ、交通ルールや交通マナーを守って走っているはずですが、多くのドライバーは運転免許を取って以来、今日まで一度も事故を起こしていないでしょう。多くのドライバーが「俺が事故なんて起こすはずはない」と思っているかもしれません。
こういう根拠の薄い自信を「慢心」と言います。
「これまで無事故だった」ことは大きな根拠になるはずだという反論もあるかもしれません。しかし、「これまで無事故だった」ことは、いわば奇跡的な幸運なのです。
奇跡的な幸運は、そういつまでも続くわけはありません。そんな風に考えることを危機意識と言います。
2. 安全運転は面倒だから
車は、徒歩などではできない速さで、道があるところであれば遠方までも自在に行くことができる乗り物です。乗り心地が快適だと感じる人も多いはずです。
しかし、道を走る車は1台ではないので、事故を起こさないためのルールやマナーがあります。ドライバーは事故を起こさないために、そうしたルールやマナーを守って車を運転しなければいけません。つまり、車を自分勝手に、自由自在には走らせられないのです。
制限速度を超えないように気をつけ、赤信号では止まり、発進するときには左右も確認しなければなりません。交通事故を起こさないためには、いろいろと細かく確認しなければいけないことが多く、ていねいでおだやかな運転をしなければいけません。
なかなか面倒です。もちろん、多くの人が面倒だと思いながらも、しっかりと交通ルールや交通マナーを守って車を運転しています。
しかし、つい「面倒くさいから」と、それを怠る人がいるせいで、事故が起きるのかもしれません。
3. 安全運転は退屈だから
安全のためには制限速度を守って車を運転しなければいけません。赤信号では必ず止まらなければいけないので、赤信号のたびに止まることになり、車を走らせる快感に浸ることも難しくなります。こまめにアクセル操作、ブレーキ操作、ハンドル操作を繰り返し、スピードを上げ過ぎることもできず、淡々と車を運転することになります。
車の運転は、スピードを出して悪党を追うとか、スピードを出して怪獣から逃げるといった場面でもない限り、単調な作業を繰り返すだけのものです。
これを退屈に感じてしまう人もいるでしょう。
退屈に感じてしまうと、つい安全運転をおろそかにしてしまうことになるかもしれません。
4. 効率を求めるから
人は効率を求めるものです。
そのため、動画サイトで映画やドラマを見るときも、早送りや飛ばし見をして結末を早く知ろうとしてしまいます。
もちろん、効率を求めることは悪いことではありません。
しかし、効率を求めるあまり、つまり、車の運転でも目的地に早く着くことばかりを考え、気持ちが焦ってしまうと、安全運転をないがしろにしてしまう危険もあります。
5. スリルを求めるから
人はスリルを求めるものです。
そのため、サスペンスやスリラーと言ったジャンルの映画やドラマを見ます。ジェットコースターのような絶叫マシンに乗ります。
車はスリル的な乗り物です。スピードも出ますし、ぶつかれば大きな被害が出るという危険がスリルを呼びます。
こうしたスリルを楽しみたいという気持ちが強くなってしまうと、危険をおだやかに回避しなければいけないという場面で、わざわざ危険に近づく運転を、ついやってしまうかもしれません。
6. うっかりミスがあるから
交通事故の原因として「うっかりミス」はとても多いそうです。
わき見運転、不注意、操作ミスなどです。車を運転しながら運転以外のことに意識が集中してしまったり、道路状況を自分の都合の良いように考えてしまう、いわゆる「だろう運転」をしてしまったり、アクセルとブレーキを踏み間違えたり、いろいろなうっかりミスがあります。
慢心もせず、常に安全運転に集中し、効率にもスピードにも気を取られない人でも、うっかりミスはやってしまう可能性があります。何しろ「うっかり」なので、ほんの一瞬の気のゆるみなのです。
7. 過信があるから
車の運転には上手下手があります。上手下手があるものには、人は他人に対して「優越感」を感じてやろうと、優劣を付けたがる傾向があります。
そんなとき、自分は他人より運転技術が優れていると思い込んでしまう人も多いようです。「俺は運転がうまい」と過信してしまうわけです。
こういう人は無茶な運転もやりかねません。無茶な運転は交通事故を起こす可能性が高くなります。本当に運転がうまいかどうかは関係ありません。
8. 他人の危険に無関心だから
交通事故は毎日起こっています。ただ、多くの人がその加害者になることも被害者になることも免れています。
さらに、自分の家族や親しい友人も交通事故の加害者になることも被害者になることも免れています。
こうなると、人は交通事故を身近なこととは思わなくなります。身近なことと思わないと、自分は何があっても交通事故を起こしたり、巻き込まれたりしないと思い込んでしまいます。
これが「慢心」となります。
ニュースなどで交通事故を見聞きしたら、忘れずに「自分にも起こり得る」と思いましょう。